棚田を借りてから、せわしなく日常が過ぎていきます。
休日となれば山梨県の山奥へ行き土と語らう…。
「休みが少ないのだから家でノンビリしていれば良いのに…」と言われることが多々ありますが、自然の中に身を投じて畑仕事をしていると、不思議なことに疲れを感じるどころか逆に体力気力がみなぎってきます。
そんなことをしていると日時の経過は早く感じ、気が付けば今年も半年が経過しました。
いつも晴天続きの畑仕事でしたが、この日は珍しく曇り時々小雨交じり。
転機が悪いと気分が乗ってきませんが、逆にそれが救いと感じることもあるのです。
炎天下の中の畑仕事は激務の極み…。
今回のミッションは「田んぼに生えている雑草取り」です。
棚田でお世話になっている「みさき耕舎」の中です。
ま、どうってことはないですが、いままで当社ブログで掲載したことがなかったので一応…。
戦場(棚田)へ向かう前にコチラで腹ごしらえ。
「ムム―――ッ!? 前回訪れた時よりも、稲がイキイキしているじゃねーか!!」
しっかりと田んぼに根を張っている感は一目瞭然。テンションが上がります。
きっとみさき耕舎のスタッフが愛情を注いで手入れをしてくれていたのでしょうね。
ありがとうございます。
長いパイプを用水路に突き刺し、ドバドバと富士川町平林地区の美味しい水を注ぎこみます。
この水加減は素人にはできず…。
普段から手入れをしてくれているベテランスタッフが常日頃から目を光らせてくれています。
以前にもお伝えしましたが、フレッシュな水が注ぎ込まれるその周辺の稲は成長がイマイチ。
その理由は水が冷たいから。
自然の湧き水が注ぎ込まれるその周辺は水温が低いため、稲が育ちにくいのです。
棚田の周辺をぐるりと歩いてチェックしていると水面が何やら騒がしい…。
よーく見てみると「おたまじゃくし」の大群が齋藤の田んぼを我が物顔で暴れまわっていました。
キレイに並んで生えている稲の隙間に、規律を乱す一本の稲…?
「こんなところに一本だけ植えたっけな?」
教育係のオッサンが「まさしくこいつが雑草だぜ! しっかり抜いとけよ~」とのこと。
雑草の特徴をレクチャーしてくれたので、稲と間違えることなくバシバシ抜いてやりました!
雑草はこんな感じで引っこ抜くとアッサリ抜けます。
稲はしっかりと根が張っているので引っ張ってもなかなか抜けないものです。
引っこ抜いた雑草はこんな感じ。
この雑草を放置していると、来年の田植えに影響があるそうです。
一年間放置しておくと田んぼの泥の中にガッチリと根を張ってしまい、稲が植えられないほど侵食してしまうそうです。
そうすると除草剤に頼ることになりますが、やはり除草剤を撒いた田んぼに稲を植えると味が落ちることは当然のこと、人体にも悪影響が予測されます。
そんな話を聞かされると雑草に対する憎悪がメラメラと燃え上がってきました!!
「抜くべし!抜くべし!抜くべ―――し!」
と、血眼になって雑草を探しまくりました。
勢いあまって元気な稲も数本抜いてしまいました…。
雑草との格闘が終了して地元のオッサンと話をしている時、お借りしている棚田の歴史について学びました。
今の爺さんたちが物心ついた時からこの棚田はあったそうで、聞くところによれば300年ぐらいは使っているのでは…、とのこと。
そんな由緒ある棚田をミーハー齋藤がお借りして良いのだろうか悩みましたが、先人に思いを馳せながら感謝の気持ちで棚田と接すれば大丈夫!と自分に言い聞かせました。
本日はこれで終わり…、ではございません。
以前に作づけした「じゃがいも」の収穫時期と重なったので、間髪入れずにじゃがいも畑へ移動します。
※過去のじゃがいもブログはこちら
意気揚々とじゃがいも畑へ向かうと…
「ムム―――ッ! 雑草しか生えてねーじゃねーか… 」
1か月ぐらい手入れをしないと、ここまで雑草がはびこるのか…。恐るべし雑草…
掘るべし! 掘るべし! 掘るべ―――し!!」
じゃがいもをキズ付けないないよう、鉄槌を打ち込みます。
土の中からお宝がゴロゴロ出てきます!
自分で植えた作物が育つと嬉しいものですね。
次から次へと湧いて出てくるじゃがいも君。
「ム~…、いい加減飽きてきたな…」
この5倍ぐらいのじゃがいもを掘り起こしました。
掘りたてのじゃがいもは随分と白っぽく感じました。
スーパーに並んでいるじゃがいもは何となく黄ばんでいるように感じます。
じゃがいも掘り古戦場跡。
じゃがいも掘りを終え汗をぬぐって見つめたその先に、雲の隙間から富士山が見えました。
「富士山を望める棚田で畑仕事をしませんか?」が、富士川町平林地区のセールストーク。
今回は畑仕事をしながら棚田の歴史や村の産業など、「カルチャー」も勉強させていただきました。
平林地区の山を見渡すと「杉の植林帯」ばかり。
爺さん連中の話では、戦後に国の主導で「杉の植林」を推奨されたそうです。
当時は材木の需要があったので、すぐに育つ杉がお金に換金しやすい、との触れ込みで住民はこぞって雑木林を伐採して杉を植林。
しかし時代の流れは早く、材木の需要は加速的に減るばかり。それに追い打ちをかけて外国の安い材木が海を渡って押し寄せてくる。
昔は林業が盛んだったが、今では見る影もなく…
その結果、過疎化に歯止めがかからなくなり「限界集落」と化してしまう。
この社会問題に、富士川町平林地区は指を加えてみているだけでなく、「棚田オーナー制度」を開設して都心部の住人と高齢化した地方集落の住人が交流できる環境を作っています。
「畑仕事をして楽しいね」だけでなく、根底にある社会問題をよく理解して参加すると、また新たな発見・出会い・取組みに発展できるような気がします。